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寂しさは生きている証。理由の有無に関わらず、誰もがみんな寂しいのです。

 

こんにちは! 「ハナシテ」スタッフのまいこです^^

突然ですがあなたは、寂しいと思うことはないでしょうか。

ない、と言い切れる方は素晴らしい。

きっと毎日ハツラツと、あるいはゆっくり考える間もないくらい忙しくなさっている方でしょう。

でも、たいていの人は

寂しいな

と思うことが少なからずあるでしょう。

安心して下さい、私もそうです。

 

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寂しさは生きている証。理由の有無に関わらず、誰もがみんな寂しいのです。

 

 

私が初めて『寂しさ』を感じたのは中学2年のことでした。

今思うとなかなかのオマセさんです(笑)

私は足に障害があり、それは子供の頃からでした。

だから、本当はもっと以前から『寂しさ』や『孤独感』を持っていたかもしれません。

 

人とは違うという気持ちが、何をしてもダメなような気がしていました。

 

何故私なんだろう、とか

どうして、当たり前が最初から私にはないのだろう、とか

そういう思いは常にありました。

でも、漠然としたモヤモヤが『寂しさ』となって私を包んだのは中2の頃だったな、と認識しています。

 

 

生きるってどういうこと?

 

どうしてそう刻銘に覚えているのかというと、その頃、命に関わる本を読み漁っていたからです。

特に忘れられない作品は、

  • ぼくは12歳
  • 死が美しいなんてだれが言った

いずれも、若くして他界された方の、遺書的な著書です。

 

 

中2の私に本が教えたこと

 

哲学的な本との出会いは、その後の生き方を左右することが多いです。

それが遺書的であれば、深い感銘の末、同じ道を辿る人もいるかもしれません。

私は、その頃初めて、生きるってどういうことだろう? と考えました。

考え始めたから読んだのか、読んだから考えたのか、定かでないですが。

 

「ぼくは12歳」の著者、岡 真史氏はご存命なら当時の私と同い年。

感受性の強い彼が生き急いだ理由は、正直、私には判りませんでした。

それでも、とても深く何かが刺さり、しばらくは心が立ち往生した記憶があります。

 

 

「死が美しいなんてだれが言った」の廣津 里香氏は、私よりかなり年上でした。

多くは夢や希望に満ちあふれた大学生活であろうはずが、彼女の日々は苦悩に満ちていた。

前衛的でありながらも硬派・・・芸術家というのはこういうものなんだろうか、と思いながら読みました。

例えば私がここへ辿り着くには、どんなことを考え、何をしないといけないのだろう、と愕然としたものです。(そもそも同化する必要などないのですがw)

それほどショッキングな内容でした。

中2でしたからね・・・

 

『寂しさ』とは・・・

 

中2の私には、岡氏の決断の理由も、廣津氏の苦悩も、胸に迫るものはあるが理解に至らなかった。

でも、今はこう思うんです。お二方とも、『寂しさ』としっかりと向き合っていたんじゃないかなと。

向き合った結果、結論が出たのかもしれないし、出ないままだったかもしれません・・・

 

こうして今、あの頃の事を思い出として誰かに伝える日が来るとは意外です。

人生は意外の連続、私の失望や落胆も、もしかしたら誰かの糧になるかもと思うと、まさに捨てる神あれば拾う神ありですね(笑)

稚拙ながらも向き合ったことが今日に繋がっていることは間違いありません。

 

誰もがみんな寂しい

 

大金持ちでも、プアーでも、

名声のある人でも、ごくごく一般庶民でも、

誰もがおぎゃーとひとりで産まれ、そしてひとりで天に還ります。

そこだけはなんの忖度もなく、平等です。

 

だから、本当は誰もがみんな寂しいのでは?

と思う、今日このごろです。

じゃ、寂しさを感じない人ってなんなの? と思うかもしれませんが・・・

気付いてないか隠してるかのどちらかです。

 

 

『生きる』ことに向き合う

 

私自身、再認識したのですが・・・

『寂しさ』を感じる事って『生きる』ことに向き合うことかなと。

寂しさなど感じることなく日々を謳歌出来るならそれはそれで良しとして。

『生きる』ことを真面目に考えるほどに『寂しい』と感じるのでは。

 

なんとなく寂しい・・・

誰かが(何かが)傍にいなくなって寂しい・・・

 

そう感じることは決して悪いことではなく、辛いことでもなく、

自分が在(あ)ることに向き合う、真摯な気持ちなのではないでしょうか。

 

私の話ばかりで申し訳ないですが・・・

『生きる』ことに向き合い、その意味を考える心の旅は、中2から始まり、今現在も当然続いています。

もちろん、今みたいな考え方でなく、途中、かなり屈折していました。

 

ひとりで生きていける?

 

とりあえず私は、ずっと独身で生きていこうと思っていました。

若い頃は人並みに恋愛もしてましたが、三十路を迎える頃には、長らく付き合っていた人と別れたり、真面目でいい人と思ってたのに二股かけられたりと、もう恋愛はたくさんだと思っていたのです。

そんな私に、少し年上の友人(女性)がとってもいい人がいるから会ってみれば、と勧めてくれました。

 

会った結果、私的には決してタイプではなかったけれど、相手がとても私を気に入ってくれてたこともあり、交際することになりまして。

お互いに仕事が変則的な勤務で多忙だったので、電話で話すことも(当時は携帯がなかった)会うこともままならなかったのですが、3回くらいは会いました。

でも、4回目はなかったです。

 

彼は突然、事故で亡くなってしまいました。

 

決してタイプではなかったんですが、私なりに少しは将来のことを思ってたんです。

マンションを持っていて、仕事も安定していて、優しい関東弁を話す人でした。

(私は関西出身で、その頃関西住みでした)

こういう人と結婚して、家庭に入って専業主婦になって、子供産んで育てて・・・

 

想像は全て、事故と共にクラッシュです。

 

生まれて初めて、自分の想像のせいで打ちのめされて虚ろになりましたね。

ちょっと鬱病っぽい感じにもなりました。

朝、目が覚めたときに、重いんです。

身体が、でなく心が。ずしーっと重い。

なんとも言葉に表現しがたい、倦怠感です。

幸い、重症には至りませんでしたが、今も若干メンタルが弱いところがあるのは後遺症かもです。

 

 

誰かといれば寂しくないの?

 

ひとりで生きていこう、と思った人が、誰かと生きていくことを想定した後は、もう、ひとりは辛いです。

最初から自分以外誰もいなかったのなら、人は孤独を知りません。

でも、誰かとの居心地を知ってしまったら、知らなかったときより寂しいに決まっています。

 

あんなに強かったのに、もうひとりでは生きていけない人になってしまった・・・

そう思った私は、その後、別の人と結婚しました。

今思えば、いろいろと残念なことだらけで・・・

詳細はまたの機会にしたいと思いますが、結婚して仰天な事実に突き当たります。

 

 

誰かといれば『寂しい』気持ちが満たされるわけではなかった。

逆に、一緒にいるほどに寂しくなるという体験をします。

そして当然、やがて離婚となりました。

いろいろと残念だったと書いたけど、残念だったのは私がその結婚に至った発想です。

結婚生活は7年、長いか短いかは別として、私の人生に必要な修行だったと思ってます。

 

何より、生きていく上のテーマともいえる『寂しさ』の鍛錬を受けた、貴重な日々でした。

だから、客観的に見て選択は残念だったけど、後悔はしていません。

いつも、その時決めたことがその時のベスト、と思っているので。

他の人から見れば「間違いだらけ」とのご指摘となるかもしれませんけどね。

 

さいごに

 

いろいろ書いて来ましたが、何が言いたいかって、こうです。

寂しくていいんです!

寂しさを持て余す人は、寂しいことを悪いことのように思っていないでしょうか。

寂しくていいんです。当たり前の気持ちなんです。

 

誰もがみんな、本当は寂しいんですよ、あなただけじゃない。

 

寂しさと向き合う勇気

 

他の人は楽しそう、他の人は幸せそう、

寂しさなんて無縁そう・・・

人のことは置いときましょう。

自分の『寂しさ』としっかり向き合いましょう。

最初はちょっと勇気が要るかもしれませんが・・・

 

でもね、向き合った結果、世をはかなんで欲しくはないんです。

人生のピリオドなんて結論には達して欲しくありません。

どんなことがありましたか?

何もないけどなんとなく寂しいですか?

 

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